11 Sep9.11を振り返る

10年前の今日、私はアメリカにいた。当時、大学院に留学するためにアトランタの語学学校に通っていた。そのニュースを初めて聞いたのは、よく知っている講師の一人が、ひどく興奮した様子で話しかけてきたとだ。「すごく大変なことが起こったのよ。。」そう言ってから、彼女は一息ついた。「ニューヨークの ワールド・トレード・センターが爆破されて、たくさんの人々が命を失ったわ。。。」彼女は、今にも泣き出しそうな表情だった。その日全ての授業はキャンセルされ、学生は急ぎ足で帰っていった。

寮に戻ってCNNを見て、初めて私はこのニュースの重大さを知った。キャンパス内ではほとんど人通りがなく、寮の中もみんなどこへ消えてしまったのだろうかと思うくらい、静まり返っていた。この日、事件が起こってからの数時間の異様な静けさを、私は今でもよく覚えている。それはあえて例えて言えば、日本で昭和天皇が無くなった時のようだった。この日、この事件から数時間、アメリカ社会は喪に伏したのだ。

そして、この日を境に、アメリカ社会は確実に変わりはじめた。

God Bless America. 多くの人々がこう連呼するする中で、私はいったいどのようにして戦争がはじまっていくのか、その過程をまざまざとみせつけられているような気持ちで、アメリカ社会の変容ぶりを感じていった。外国人である私が、事件の被害者に同情することはできても、アメリカ人と同じようにこの事件を感じることはできない。しかしながら、外国人であるゆえに、その変容ぶりをある程度客観的に、悪く言えば冷めた視線で、観察することができたのもまた事実だった。

アメリカには敵がいる。なぜ民主主義を体言化しようと精力的に活動してきたアメリカが、テロリストの標的にさらされてしまうのか。この疑問に対して、多くのアメリカ人はまるで思考回路をぴったりと閉ざしてしまったかのように、沈黙しつづけているように見えた。そのような中で、当時のブッシュ大統領やメディアが繰り返してきた主張は唯一だった。それはアメリカが自由な国であるからだと。テロリストはアメリカの自由を妬んでいる、というものだった。

なぜアメリカには敵がいるのか。その答えは容易ではないとしても、少なくともテロリストが自らの命をも犠牲にして、高層ビルに追突した理由は、単なる妬みではないだろうということは、常識的に想像がつく。だが現実は、アメリカ社会は見えない敵を模索しつつ、迷走を続け、二つの戦争に突入していった。

奇しくも事件から10年後、今日から丁度半年前の3月11日、日本は東日本大震災によって、多くの人が命を落とし、資産を失った。ともに11日におきた偶然からか、3.11と9.11は比較されることが度々ある。この事件の実際の被害者は3000人程度であり、日本の震災の方がはるかに被害者数は多い。だが、単純な犠牲者の数や被害額の総数などで、この2つの出来事がそれぞれの社会に与えた犠牲の大きさを量ることは出来ない。単なる自然相手によっておきた災害は、見えない敵にうちのめされたときの痛手よりも、ずっと容易に立ち直れると私は思う。

Leave a Reply

You must be logged in to post a comment.